2018年1月14日日曜日

『石内 都 肌理と写真』横浜美術館

http://yokohama.art.museum/special/2017/ishiuchimiyako/
 わたしはこの服を着たことがある。確かにわたしが洗濯し、物干し竿に掛け、乾いたそれにアイロンを掛けてタンスにしまった服だ。いつのことだったか忘れてしまったわけではない。昨日だったか先週だったか袖を通した覚えがある。
 うかつにも『肌理と写真』という言葉に影響されて、肌の肌理、布の肌理、建物の肌理、あるいは写真そのもの肌理、これらを結びつけてしまいそうになる。だが当然それらは別の物だ。石内都の写す建物は、世にうんざりするほど存在する廃墟写真のように時間の蓄積を表してはいない。大野一雄の皺も石牟礼道子の皺も歴史ではない。
 傷は見つめる。たった今わたしを、さらにわたしを突き抜けて背後をも見つめている。石内都が傷のある裸体を写した写真には顔が映っていない。それをこんな風に批判することも可能だろう。「石内都は被写体の視線を避けている、顔を見ようとせず、のぞき見のように写している」。もちろんそうではない、元々顔は簡単に顔でなくなる、写真ならなおのことだ。しかし傷はいつまでもこちらを眺め続けるだろう。視線をそらしてくれることなど全くない。
 この傷をつけたのはわたしだ、といってしまえば欺瞞になるだろうか。ではどのように言えばいいのか。しない欺瞞よりする欺瞞、とでもいってやはりわたしのつけた傷であると言えばいいのか。それは目を閉じるよりはましであっても傷の視線をそらそうとしていることに変わりはない。傷は相変わらず何も語らないままこちらを見つめ続ける。わたしがなにか話さなくては。
 その点「ひろしま」の服は雄弁だ。ほとんどばらばらになった服よりも原形を留めている服の方が不穏なのは形が崩れれば崩れるほどオブジェと化し美術作品のようにふるまってくれるからだ。服を素材とした現代アートとやらをどこかでみたことがなかったか。原形を留めていれば?わたしはその服を着たことがある。この「美しい」服を、動揺をごまかすためではなく、ただ身につけた。他に方法がない。
 ではこうすればどうだろう、傷のある裸体に「ひろしま」の服を着せてしまうのだ。時間による風化を止められた服によって、今もこちらを見つめ続ける傷の視線を遮断してしまうのだ。
 展示会場で、後ろ姿が石内都に似た人を見かけてぎょっとする。しばらく眺めて別人であることを知って安堵する。裸体に服を着せたことを、知られてはならない。

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